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音楽の事をあんな視点、こんな視点から綴ります。

最近のあれこれ0413。

五島列島

両親の故郷が長崎県にある離島、五島列島である。

五島には子供の頃から幾度となく遊びにいっているのだけれど、今回は祖父の七回忌であった。

おじいちゃんの名前は「半蔵」といい、僕の「将蔵」という名前の半分はおじいちゃんから頂いたものだ。この「蔵」の部分こそが名前を言うとよく「武士っぽい」と思われる要因なのだろうと思う。

同じ県とは言え、フェリーで4時間弱はかかる島だ。子供の頃は夏休みの間長期滞在なんてのもしたものだが、歳を取るにつれその回数と日数は減り、一年に一回、もしくは帰らない年もあった。

 

五島の人間はあっぴろげだと僕は思う。

喜怒哀楽の表現が豊かで、お酒もよく飲み、タバコもよく吸う。

それがい良い面悪い面あって、彼らは無意識に人を傷つけるような発言もする。

芸人さん風に言えば「いじる」レベルの感覚なのであろうが、デリカシーに欠ける発言も多い。

だから僕は、ここ最近正直五島が嫌いだった。

今でもそれは続いていて、本音を言うと「出来れば行きたくない」場所である。

 

だけれど、先祖代々が住み、そして亡くなっていった場所だ。

そこには自分自身のルーツが確かにあって、「僕」と「五島」は生まれた時から繋がっているのである。

 

だからあまり「嫌い」とか「しんどい」とは思えないなぁ、という話。

島自体はとても良いところです。僕の場合色々な思いがある場所なので逆に公正なジャッジが出来ずアレですがw、機会があれば遊びに行ってみてください。

海もキレイです。夏とかすごいです。

https://www.instagram.com/p/BSqWwnglUoP/

法事で五島へ~。教会でしょー?桜でしょー?ステンドグラスでしょー?五島うどんでしょー?…っていうね!

 

・発想の逆。

未来の日本のある街。

そこは「リバイバル」の煽りを大いに受けて、人々はまるで江戸時代の様な生活スタイルで生活していた。質素で淡白な暮らし。

その地区は「むかし村」と呼ばれ、その実態はコンピュータによる完璧な管理下の元、主に富裕層が隠居するための場所だ。

気候はすべて計算された「穏やか」さを一年中保ち、地震などの天災は「99.999%起こらない」。未来には巨万の富を投資すればそういった設備も構築出来るのだ。

だから、安心して余生を過ごせる場所という訳なのだ。

 

そこに、あるおじいさんとあばあさんがいた。

彼らは残念ながら子供を作ることが出来ないまま歳を重ねてしまった。

しかし夫婦は仲睦まじく、おじいさんが若い頃起業した会社が一部上場の大企業に発展し、生活するには十分過ぎるほどの貯蓄が出来、おおよその欲しいものは我慢せずに買えた。多くの額の寄付や投資をしても簡単に減ることは無かった。

そんな折、夫婦に飛び込んできたのが「むかし村」の話だった。

2人は迷わず飛びついた。夫婦が最終的に欲したのは「時間」だったのだ。

いろいろな柵(しがらみ)や考え事に時間を割くことがなく、ただぼんやりと一日を過ごす事ができる「時間」。

「むかし村」に移住して来てからやっと青春を過ごすことが出来ている、とおじいさんは笑うのだ。

 

ある日、おばあさんがいつも通り洗濯をしていた。

「むかし村」には家電製品は無い(もちろん要望があれば景観を損なわないレベルの物を支給してはくれる)ため、近くの小川にて洗濯をしていた。

おじいさんの着物を洗い始めた時、上流の方からそれまで聞いたことのない怪音がおばあさんの耳に届いた。

その音をあえて文字に変換するとしたら「どんぶらこ」と表現するのがいちばん近い。

何がどうなって「どんぶらこ」という音を作り出しているのか、おばあさんにはまるで見当がつかなかったが、その音は確実に自分に近づいている。

こわごわ上流へと目を凝らすと、ドラム缶程のサイズの「バナナ」が流れていた。

そう、あの「バナナ」だ。あまりにもポピュラーなその果物の事をあえて説明することも出来ない。

ただ、「異様」に「デカい」。

通常のバナナのサイズを1とするならば、200倍はデカいバナナだ。

おばあさんは腰を抜かし、「ヒッ」と小さく悲鳴を上げた。

「異様」なものは恐怖感を煽る。未知との遭遇

おばあさんに目視されてもなおその異様なバナナは「どんぶらこ」という音をあげながら近づいてくる。そして、おばあさんが洗濯をしていた浅瀬へ辿り着いた。

慌てておじいさんを呼び、2人で改めてそのバナナを確認する。

恐ろしいまでに「バナナ」である。

おじいさんが恐る恐る皮を向いていると、そこには赤ん坊がいた。

赤ん坊だ。紛れもない。人間の、赤ん坊。

性器を確認すると女の子らしいという事が判明した。

老夫婦は見つめ合い、しばらく呆然としていた。

 

巨大なバナナから生まれたその赤ん坊は「バナ子」と名付けられ、すくすくと成長した。

ものの3日で二足歩行を自分のものにし、一週間後には「おじいさん、おばあさん」と声を上げた。

幼いバナ子に、夫婦は手取り足取り何もかもを教えた。

そうしてバナ子は一ヶ月後にはコンピュータのプログラミングをものにしていた。

そうして三年後、老衰で死亡した。

 

 

…と、言うふうにですね?w

あのー、今の漫画ってこういう「ありき」のものを逆手に取った発想のものが多い気がするんですよ。

例えば最初に勇者が死んでたりだとか、パンチ一発でどんな敵も倒す最強のヒーローが主人公だったり。

これまで漫画の歴史が積み上げてきたいくつかの「スタイル」を逆手に取った物語構成。

王道をよく知るからこそ邪道が活きる。逆も然りで。

だからどうってわけじゃないのだけど、漫画という文化は既に何周もしているんだなぁと思います。

で、音楽にもそういうのはあって。「むかし村」じゃないけどw、リバイバルの波が。

「新しい音楽」というのを模索していくと、結局過去の音楽を今風にアレンジする事に回帰してしまうのも納得しつつ、「それってどうなの?」って思ったりもします。

でも「古すぎる」のも「新しい」んですよね。どれくらい古さを取り入れるのかっていうのもセンスだし、簡単に結論付けられる話では無いのだけど。

なんだか、そんなことを思ったんです。

 

そんな感じ。

昨日、TSUTAYAで落語を借りたり、100sのライブDVDを買ったりしたので、ぼちぼち聴いたり観たりしていきたいです。楽しみが出来た。

 

あと、バナ子の件はすいませんでしたwww