Tara-Reba.
今週のお題「私のタラレバ」
「お前が帽子を飛ばされなかったら・・・
台風が来なければ、前の日に雨が降っていなかったら
野球なんかやってなければ
そこんちのお父さんとお母さんが出会わなかったら
結婚しなければ・・・ ―たら、―れば・・・
生まれてこなければ、死ななかった
ゲームセットの後、
たら、ればを言い出したら キリがねぇよな。」(あだち充著作の漫画「H2」より 国見比呂のセリフ)
僕が「たら・れば」という言葉を意識しだしたのは、学生時分にこのシーンを読んでから。
人間は「もしも」を考えずにはいられない生物です。
大小様々な分岐点を日々選択し、通り過ぎていて、選んだ結果が今そこにあります。
でもふと「あの時こうしていれば/あの日に戻れれば」なんて「ソラニン」の歌詞のように考えてしまうこともしばしば。
考えたってどうしようも無いのだけれど、考えてしまう。
ではお題の通り、自分の過去の中の「たら・れば」を考えてみようと思う。
①小学校一年生。
N先生というおばちゃん先生が担任だったのだが、僕はある授業中にN先生の事を「母さん!」と呼んでしまった。
今やあるあるネタでしかないそれを、身をもって経験した一人である。
あの時僕が間違えずに「先生!」と呼べていれば、30歳を目前に控えた今でもたまに思い出してひとり赤面することもなかったのでは…。
人の名前、呼称を間違えると言うのはとても恥ずかしいことだ。あの恥ずかしさはトラウマになっていて、もしあんな間違いを犯さなければ、きっと今頃僕はなんやかんやあって女子高生を中心にティーンのカリスマ的存在になり、モテモテになっていたであろうことうけあい。
②中学一年生。
僕には初恋の相手がいた。
彼女とはその昔通っていた幼稚園で知り合い、住む場所の違いから小学生時代は離れ離れになったものの、中学一年生の時に同じ中学校に転校して来た。(記憶違いでなければ。)
運命の再開を果たした彼女とは非常に仲が良く、冗談を言い合ってはケラケラと笑い合っていた。毎日のように。
僕は異性というのを彼女に会って初めて意識した。でもどうすればいいかわからなかった。きっと服装だってだらしなかっただろうし、髪型もボウズに毛が生えた様なしょうもないものだった。
イケメンじゃ無いし、自分の顔や身体にはコンプレックスしかなかった。
よく「同級生のあのイケメンサッカー男子と顔を変えてくれ!!」と祈っていた。誰かに。
そんなある日、友達同士のノリで告白しちゃえよ、という流れになった。
おそらく僕が彼女に抱いているものは、周りから見ればあからさまだったのだろう。
何を書いたかは覚えてないが、いわゆる恋文というものをしたため、彼女の靴箱に投げ入れた。
数日後返事が来、その返事には「あなたは私にとって、とても仲がいい兄弟みたいなもの。だからごめんね」と、書かれていた。実際はもっと女の子らしい文章だったけれど。
そう。僕はフラれたのだ。人生初めて。
淡い初恋は砕け散ったのだ。はあとぶれいく。
フラれた男というものの立ち振る舞いが僕には分からなかった。
「だからこれからも友だちでいてください」と締めくくられた彼女の手紙。
僕はそれを叶えてあげられなかった。
学校の廊下ですれ違う度に、昔のように明るく話しかけてくれる彼女を無視したり、変によそよそしく当たってしまったりしたのだ。
恥ずかしかった。
きっと多くの同級生は…特に女子は僕が彼女に告白したことも、それが玉砕に終わったことも知っていた。それが恥ずかしくてたまらなかったのだ。
僕はガキだった。
自分の事しか考えられない糞ガキで、それできっと彼女を傷つけてしまった。
彼女はやがて話しかけてくることも無くなり、廊下ですれ違っても目も合わさずに通り過ぎてしまうようになった。
中学も3年に上がる頃、(ハッキリとした原因は未だ不明だが)彼女は不登校になり、結局卒業式にも出席しなかった。記憶違いでなければ、だけど。
僕がもっと懐の大きい…細かいことを気にしない大らかな心であれたならば、もしかして彼女は不登校になんてならずに、楽しい学校生活を送れていたのではないか。
幼い頃からお互いを知る貴重な友だちとして、仲良く卒業を祝うことが出来たのではないか。
時々そんなことを考えてしまうのだ。
③高校一年生。
僕はきっとやかましい人間だった。
お笑いが好きで、中学の卒業アルバムに同級生から書いてもらう寄せ書きには「吉本(吉本興業)へ行きましょう」なんてコメントも多かった。
ツッコミが好きで、お笑いに夢中だった。あ、音楽もだけど。
その場の笑いが欲しいが為に発した言葉の多くは、きっと幾人かの友だちを傷つけていたのではないかとたまに思う。
誰も傷つけないで笑いを取るというのは高等技術なのだ。
というか、誰かをイジるというのがあまりにも真似しやすく、安易な笑いなのだ。
誰かをイジるには、実は相当な技術がいる。
アメとムチではないが、イジるだけではバランスが偏ってしまう。全否定してしまうと会話にならないのだ。
高校一年生の僕はまだそのことを知らずに、思ったことを殆ど好きに発していた。
ある日、建築科の専門授業の際。
小テストの返却を先生が一人ずつ名前を呼んで行っていた時に、自分の名前が呼ばれた瞬間「はい!」ではなく、「うぇーい!」みたいな軽口を叩いてしまった。
それを聞いた先生は3割冗談、7割本気のようなトーンで「ハイだろ!!」と僕を叱った。
僕はなんだかそれがとても恥ずかしかった。
ウケると思って放った言動は全然面白くなく、ただ怒られて終わってしまったこと。
簡単に言えば"スベった"というやつだ。
その時のクラス内はテストの点数でワイワイとしていたから僕のソレもそんな雑音の一部でしかなかったのだけど、僕はやたら鮮明に覚えている。
だから無闇矢鱈に言葉を発してはいけないのだと悟った。
そして、自分は決して世界の中心では無いということも。
そんなの普遍的過ぎて分かりきってると思ってはいたものの、知っていることと悟ることは別だ。
僕があの時点でそれに気付いていたならば、高校生活はきっともう少し円滑に廻り、今「高校時代は忘れたい」なんて思うこともなかったのだろうなと思う。
僕は、高校時代の自分が今までで1番嫌いなのだ。学ぶことも多かったのだけれど。
まとめ。
という、学生時分の「たら・れば」。
ただまぁ、ポジティブに捉えるなら、そんな経験があったからこそ今の自分がいるわけで。
今の自分を100%肯定することは出来ないししないけど、腑には落ちている。ああ、自分はこんなもんだよなって。
でもやっぱりたまには思ってしまう。たらと、ればを。
そうやって思い続けるのが人の常だと知って、またこれから色んな選択肢を経験していくのだろうと思う。
何故か今、スーパーカーの「planet」の歌詞が浮かんだ。
「これから僕ら、大人になろう。
たまには後ろ、ふりむきながら。」
大人に、ならねば。