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音楽の事をあんな視点、こんな視点から綴ります。

【歌詞考察】003:中村一義/主題歌

久しぶりの歌詞考察。

masacla.hatenablog.com

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昨日、シャッフルで流れ出して、改めて名曲だと思った「主題歌」を。

www.youtube.com

 

いやでも実際偉そうに考察とか出来ないんですよ、この中村一義というお人の歌詞は。

色んな音楽や作品からの引用もありますし、言い回しも独特ですから。

でもこの「主題歌」に関しては頑張れば深く掘り下げられるのかなって。

中村一義/歌詞:主題歌/うたまっぷ歌詞無料検索

↑まずは一旦聴きながら読みましょう。

 

この曲は全世代に贈る「応援歌」なのだろうなと個人的には解釈していて。

確固たる「自分」というものへの愛情と敬意。

自分を認め、愛すということは博愛精神に繋がる。

そして博愛精神というのは世界の平和をも創造出来るはず…

きっとそういう歌なのだと思うんです。

※この考察は僕個人の勝手な妄想、想像を大いに含みます。その点をあらかじめご了承くださいませ!

※加えて、歌詞の掲載は昨今とても厳しいので、出来るだけ少なく書きます。

主題歌。

細かく見ていきましょう。この曲、名言のオンパレードです。

 

死なない程度に、こけちゃう程度に僕は進むんだ

お腹減りふいに腰掛けた横に、みんなが待ってたんだ

 

黒の次は白しか来ない 痛みはチョコにして食え

最後の一機なんだ 越えらんないのかなぁ 越えられるのかなぁ

(著作権的に若干表記を変えてます)

 

生と死の境目なんて実はこれくらいの差なのかもしれない。

「死なない程度」「こけちゃう程度」の。

みんなそれぞれ、自分のキャパシティを心得ている。これ以上やるとあぶねーなとか、もうちょっといけるかもっていう、「頑張り」の「キャパシティ」。

でもズルっとこけて、踏み外せばもしかしたら死んじゃうかもしれない。

それくらい世の中は紙一重であり、だから今ここに自分が生きているということはもしかしたらほんの少しの「程度」の差なのかもしれない。

 

そして、そんな僕と君が集まっている「みんな」という場所に身を委ねる。みんな同じ。今生まれた赤ん坊も、ベランダでタバコを吹かしているおっさんも、じつは紙一重の「生」を生きているんだから。

 

でも、良いことがあると悪いことを想像してしまう。

じゃあ、それを受け入れられたとしたらどうだろう?

起こる悲しみや怒りなんてチョコして食ってしまえばいい。たとえ苦くても。

だって、紙一重の先にはいつだって「死」がある。

そう、コンティニューなんて出来ない。リセットボタンもない。

生まれた瞬間から僕たちは「最後の一機」で生きているんだから。

 

…なんて言うと、「考え過ぎ」だとか「しょーもない」なんて思われそう。

だから 「まぁいいや…。」と思ってしまう。

でも、やっぱりそう思わずにはいられない。

こうして今、自分が呼吸している事、泣いたり笑ったり出来ていることはほんの少しの「程度の差」なんだと。

だから。

見えない方へ見えない方へ進んでいくんだ!

僕は絶対迷わない 十年前の僕も言いそうだ。

と、ある種の開き直りを見せる。

そうだよ。十年前の自分でも同じことを考えるはず。だったらもう迷っていられない。

進もう。想像の向こうにある「見えない方へ」。

 

黒とか白、黄色とかみんなはそれぞれ違っちゃうんだねぇ

でも色んな色が一枚の絵画に塗られてればいいなぁ

まぁいいや…?まぁいいか…?

 

ここの部分は人種の話をしていますね。

黒人、白人、我々日本人である黄色人種

でも大きな視点で見れば「人間」という一括りに出来る。

グローバル化だなんて大袈裟な言葉に頼らなくても、同じように過ごし、生活することが出来るはずなんだよ。

音楽だってきっとそう。ホントは細かくジャンルなんか決めなくて良いんだ。

色んな人種が一斉に音を鳴らせば良いんだよ。それを「ダメだ」と誰も言えない。

 

でもこれって、理想論?

でも「難しい」って言葉だけで終わらせてていいの…?

 

今まで僕が踏んだ道なんてハナクソだ

みんなと絶好調で会う今日に比べたら

見知らぬバカの手のなる方へ誘われたんだ

僕は絶対行きはしない 十年後の僕も言いそうだ

 

そう、だって、出会いとはとてつもないパワーを秘めているんだ。

人と人とのコミュニケーション。繋がり。

それは今までの自分の人生がとてつもなくちっぽけでどうしようもないものに思えてしまうくらい輝いている。

だけど中にはそんな繋がりを利用して何かを企てようとするヤツもいる。

でももう僕は知っている。

みんなと出会うことの素晴らしさ。輝き。

これはもう一生揺るがない。

それはたとえ十年後経っても変わらないだろう。

 

まだ見ぬ方へ、心の方へ

そうだみんなも進んでんだ

 

ちょっとの自分も信じられないくらいなら

僕の夕飯になっちゃえば、どう?

なんて、絶対イヤかぁ

まーいいや、もういいか…

 

みんなそれぞれ闘っていて、その中で自分が信じられる、信じている方へ進もうとしている。

それでいい。迷わなくていい。

辛かろうが、悲しかろうが、君は君の道しか歩め無いんだから。

くよくよ、うじうじとしているくらいなら僕が食べてそれを排泄してやるよ。

…って、そんなん絶対イヤだろ?

分かる?分かってくれてる?

 

笑えるように笑えるように にじり寄んだ

それは絶対余裕じゃない

だから止めないんだ

青の時代を延々と行くのもまた一興だ

成功と、失敗 全部が

絶対無駄じゃない

もう、全然すぐれないような日々も

絶対ウソじゃない

千年後の僕も僕だ

絶対アセらない

万年前の君も君だ

 

人を笑顔にすること、自分が笑顔になることは、決して簡単なことじゃない。

でも、だからこそやめない。「笑う」「笑わない」も、きっとほんの少しの程度の差。

だったら笑っていたほうがきっと得だ。

バカみたいに笑うだけの青く幼い日々を続けても良い。

それによって生じた失敗や間違いも絶対無駄にはならないんだから。

それはウソじゃないし、だからアセらなくて良い。

君が、僕が。確固たる「自分」を持ってさえすれば変わらない、そして終わらないテーマの様なものなんだから。

だって、

実際さこれはのんびりもんの主題歌なんだ

から。

 

そう。

僕達は実はヒーローでもヒロインでも無い。

みんなただののんびりもんでしかないんだよ。

紙一重の、実はギリギリの日常の中で。

長いようで短い、短いようで長い人生の中で。

どうあったほうが僕らは「幸せだなあ」と思えるのか。

それは。

人への、モノへの、感情、現在、過去未来への。

そして、自分への「愛」でしょう。

それを持てば良い。それを大切に持っていればいいんだ。

そして死なない程度に、こけちゃうくらいの感じで進んでいけば良いんだ。

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…というのが僕の解釈。笑

全然違うかも知れないけどね。

 

そして言葉では表せないアウトロのファンファーレ。

イントロで聴くこのファンファーレと、アウトロのファンファーレ。

同じメロディなのに、違って聴こえるのが不思議。

神とかそういうんじゃなくて、ただ自分自身、あなた自身への賛美歌のような。

ああ、自分はこのまんまで良いのかな、良いんだよねって思わせてくれるとても素敵なファンファーレです。

(そしてこれは彼が敬愛するビートルズを彷彿とさせるのもすごい。)

 

というわけで。

好き勝手書きましたが、中村一義という人が綴る言葉は非常に多角的に読めるのでこれが「正解」では絶対にない。

ただ、今の僕にはこう聴こえたし、読めたよってだけの話で。

だから「主題歌」に関しては、読む人聴く人それぞれの「主題歌」であればいいと思うんですよね。っていうか、そうあって欲しい。

 

最後に、こちらのインタビューが面白かったです。

natalie.mu

「主題歌」のくだりを読むと、僕の拙い解釈もあながち間違いじゃなかったのかなぁ…なんて。

 

はぁ。歌詞考察は面白い。

けど、疲れるなw

 

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