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音楽の事をあんな視点、こんな視点から綴ります。

雑草の名前。【「二人セゾン」/欅坂46】

僕が48グループの事をなんとなく苦手な理由として、プロデューサーであるA氏の存在が脳裏をチラついてしまうからだと思う。

A氏のプロデュース能力…それは言い換えればマーケティングだったりプロモーションだったりするのだけど、それは確かに凄いんだと認めざるをえない。CDの売上枚数や多くの有能なタレントや俳優を生み出した功績も(おそらく)デカいだろう。

訝しんだ見方をしてしまうと、どうしてもお金の匂いであったり不自然なものを感じてしまう。まぁそれも受け手側がきちんと分別出来ていれば別にいいのだけど。

 

熱心なファンではない僕(ら)が抱える問題は、やはり「音楽」としての価値を考えてしまうことだと思う。

 

90年代に爆発的に産まれた「ミリオンヒット」の数々。CDが音楽媒体としての全盛期であったあの頃。確かに少々売れすぎではあったかもしれないけれど、日本の音楽シーンを牽引していたそれらの楽曲、作品は、多くの音楽ファンにとって偉大な指標であったし、ある種の基準だった。

やがてCDという媒体がほぼ売れない時代へと突入し、ダウンロードやストリーミングが主流となった現代。その現代においてA氏が起こした「握手券同封」という商法は未だに物議を醸している。「それでいいのか」と。

まるでビックリマンシールが欲しいがゆえに売れたビックリマンチョコだと揶揄する意見もある。(プロ野球チップスにも言い換えられる)

音楽は猛スピードで「オマケ」になった。なってしまうことを証明してしまった。

ファンは言うかもしれない。「きちんと音楽も聴いているよ」と。

違う。本当に必要なのは「きちんと音楽"を"聴いてるよ」という言葉なのだ。

 

僕は48グループの熱心なファンではないから知ったふうな事は言えない。

それはそれで需要と供給が成立していて、素晴らしい成り立ちなのだとも思う。

でも、やっぱり、だけど…

そう思っている間に出会ったのが「二人セゾン」という楽曲である。

「二人セゾン」/欅坂46

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一聴して、なんて素晴らしい曲なのだろうと思った。

でもなんでそう思うのかを自分自身理解出来なかった。永らく謎のままであった。

それが、今朝リピートして聴いていて少し紐解けるような感触があったので文章にしたい。

 

 

この曲は所謂「サビはじまり」の曲である。サビのメロディを冒頭に持ってきて、イントロへと繋げる。よくある手法ではある。(個人的には、サビはじまりの曲は凄いなぁと思う。いちばん盛り上がるであろうメロディを何よりも先に見せちゃうんだ、と思うから)

MV通りの柔らかい、あるいは力強い日射しがゆっくりと日陰を照らすようなその冒頭から、どこか憂いを帯びたメロディを奏でるピアノとストリングスを主体としたイントロ。

そこから流れるようにトニックに戻り、綺麗な場面転換が行われる。サビもイントロもサブドミナントからのコード進行なので、トニック感が少しふわふわしている。そこでバチッとAメロでトニックに戻る展開が気持ちがいい。

そしてこのAメロ。こいつが役者である。

最初の8小節はなんてことないカノン進行である。その次の8小節が実は凄い。

同じカノン進行かと思わせて、ノンダイアトニックコードを織り交ぜて盛り上がりを作っている。ここで聴いてる側はまるで(役割という意味での)Bメロを聴いた気になるのだ。

『What did you say now?』のあとで重なるようにサビにいっても全然おかしくない。

その仕組まれた違和感を感じさせたまま本当のBメロに突入する。

ここはメロディが素晴らしい。キー的に高いところを16分音符で刻み、疾走感と切迫感を演出している。そしてまた盛り上がりを付け、いよいよサビに入る。

サビは冒頭で片鱗を見せているから特に驚きはないのだけど、頭の中を無意識に巡らせる「二人セゾン」という謎めいたワードが繰り返される事によって不思議な中毒感を覚える。歌詞を知らなくてもそこの部分は歌えるという安心感を覚えるのだ。

 

思うに、こういうキャッチーなワードというのはとても大事なのだと思う。特に48グループの楽曲にはこういう主体となるワードをあえて楽曲タイトルにし、歌詞に散らした作品が多いように思う。

どこまで計算されているかわからないけど、そうすることでパッと曲名を言われた時にすぐにメロディを思い出せることが目的じゃないかと思う。もちろんそういう曲ばかりじゃないし、それがどれだけ意味のあることなのかもよく分からないのだけど。

 

そうして2番があり、大サビがあり、楽曲は終わりに向かう。

息もつかせぬ展開で、無駄な部分が無い楽曲だと思う。聴き慣れてしまうと、意外とあっさりした曲なのだなと思ったりもする。しかしそれが逆に聴く側を疲れさせないので何度も聴いてしまう。

だから、『二人セゾン』は音楽面においても歌詞においても計算が張り巡らされた名曲だと思うのだ。

 

この『二人セゾン』の歌詞は出会いと別れを歌っている。いくつかの考察を読んだが、どうやらメインメンバーである平手友理奈とその他のメンバーの事を歌っているそうだ。

「セゾン」というのはフランス語で「季節」という意味らしく、メンバーと出会い、そしていつの日か別れていくいくつかの季節と刹那を綴っているのだと。

 

僕が印象的に感じたのは1コーラス目のAメロである。

道端咲いている雑草にも名前があるなんて忘れてた

気づかれず踏まれても悲鳴を上げない存在

という部分。

捉えようによってはまるで48グループを自虐しているようにも思える。

本当に沢山いるメンバーの中でも世間に名前と顔を覚えられるのは一握りだろう。

実際、こんな記事を書きながら僕も欅坂のメンバーの名前は平手友理奈しか分からない。恥ずかしながら。

でもそれはきっと仕方がない事だとも思う。欅坂はそういう売り方をしていると感じるし、あえてそうしているような気もする。「平手とその他」というような。

そうしてきっとそのうち誰かが卒業してゆく。日常の喧騒に埋もれながら、ひっそりと。

その呪縛にも似た運命を享受しながらも歌い踊る彼女らの姿は非常に儚く、そして切なく感じるのだ。

でも『一瞬の光が重なって折々の色が四季を作る/そのどれが欠けたって永遠は生まれない』ことも知っている。だから彼女らは生放送中に失神しても、怪我をしても、刹那の中の一時を懸命に駆け抜けるのだ。

 

ここまで己の運命をポップスに転換出来たグループが今までいただろうか。

その痛みが淡い旋律となって僕らに届く。それが時には不協和音になってしまうかもしれないけど、きっと彼女らは恐れないし、立ち止まらない。

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まるでロックバンドみたいだな、と思う。

そう、欅坂46からは、すり減るように時代を、シーンを駆け抜けていた数々の偉大なロックバンド達を想起させられるのだ。それこそが、僕がこの曲に、このグループに妙に心惹かれてしまう理由なのかもしれない。

 

これからどういう表現をしていくのかと今後の動向を1番ワクワクさせられるアイドルグループ、欅坂46

彼女らはまだファーストアルバムをリリースしたところなのだ。 

真っ白なものは汚したくなる (TYPE-A)

真っ白なものは汚したくなる (TYPE-A)

 

 

今週のお題「私のアイドル」