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音楽の事をあんな視点、こんな視点から綴ります。

スーパーマーケットで鬼ごっこ。

昨日のことである。

僕が住む街は台風の影響で激しい雨に覆われていた。

行き交う車はどれも激しめにワイパーに同じ行動をループさせ、運転席に乗る人間の視界を遮る雨粒を、スプラトゥーンで言うインクリーナーを彷彿とさせる働きで明瞭に保っていた。

 

最近では陽がすっかり短くなり、18時を越えると街はあっという間に暗闇に覆われる。

路面が雨を吸収してヘッドライトを反射させている。いつもよりも眩しく感じる光を浴びながら、通り過ぎていく彼らと同じように僕も僕だけの目的地へとアクセルを踏んだ。

 

18時、19時という時間帯は夜の始まりだと個人的には認識している。

それは例え季節が夏で、大気が未だ十分に明るさを保っていたとしても、だ。

そして「18時になれば家に帰らなくてはいけない」と子供の頃に刷り込まれた鉄則が未だに頭の中に残っている、というのもその認識に拍車をかけているのだろう。

だからこの歳になっても未だに夜に出かける事があったりすると、抱かなくても良い罪悪感と、ワクワク感を覚えてしまう。

いつからか夜が自由時間になった。

時間は昼夜問わず皆平等に与えられているものだと思っていたけれど、そんな極論は社会人にはもはや通用しない。

労働の義務である。

ヨーロッパの国家では宗教改革の影響で「労働は神聖なもの」「働くことは神のご意志」とされていたそうだ。また、働かない者は神の意志に背いた反逆者だとしていたそうである。

でもまあ僕がこうしてiMacに向き合ってほそぼそとブログを書いているような生活をするには労働が伴わなくてはいけないし、それはわざわざ意識をヨーロッパまで飛ばさなくても分かっていることである。働かざる者食うべからず、なのだ。

 

そして、腹が減っては戦はできぬ、である。

これだけ近代化が進んでいても、我々の生活は古い映画で観たような食事をサプリメントに頼るようなものにはならず、むしろ真逆に、手のかかる料理を嬉々として作ったり、それをSNSにアップロードなんて行為を繰り返したりしている。

https://www.instagram.com/p/BYS_0ydleuaTkwO9MheFY_vzyKVdrmxwfqwp1M0/

なんやかんや迷って、結果割としっかりとした定食を作ってしまった

 

だから節度を持った良識のある大人で居るためには何かしらの料理を食べなくてはならない。

そんな目の前に転がっているどうしようもない、逃れられない事実を、ある意味で考えることを止め、僕はスーパーマーケットへと向かった。

 

ここまでの話を要約すると「仕事終わりに夕食を買うためにスーパーマーケットへ向かったよ」ということである。

 

スーパーには十数台の車が停められていた。雨は依然激しさを持っており、ボタボタボタと鬱陶しい音を立てている。

羽織ったパーカーのフードを被り、足早にスーパーの入り口を目指す。話は逸れるが、パーカーのフードを被ると自分はアサシンクリードだ…という気分にいつもなる。

アサシン クリード【CEROレーティング「Z」】

アサシン クリード【CEROレーティング「Z」】

 

(イーグルダイブ、たまがひゅん、とするよね。)

 

店内には老若男女の姿が見て取れた。

パンを物色する婆、ちょっとした広場で妻の買物を待つ眼鏡を掛けた中年男性、ボロボロの作業着でレジの順番を待つ雰囲気さえもくたびれた青年…。与えられた資本主義の恩恵に甘えきった現状が浮き彫りになっていた。なんだこの無条件に提示されている「平和」感は…と。

そう思っていると、僕の目の前を年端もいかない(小学校2,3年くらいだろうか)娘っ子が「キャー」と小さく悲鳴を上げながら駆けていった。そのほんの数秒後、先程の娘っ子よりも大きい娘が「ハハハ!」と笑いながら駆けていく。先の娘っ子を追いかけているのだろう。

 

しかし僕は戦慄した。このスーパーマーケットに、「鬼」がいるのだ、と。

彼女らがしているのは紛れもなく「鬼ごっこ」だろう。二人以上のグループで「鬼役」を決め、そいつに体を触られると触られた人間が「鬼」に変わる、というシンプルな設定ながらよくよく考えると恐ろしい、昔からある子供の遊びだ。

しかし、この平和ボケしきったスーパーマーケットで行われているその鬼ごっこは、おそらく彼女らから送られる「鬼(災難、害)は至るところに潜んでいる。貴様らもいつそれに襲われるかは分からないのだ」というメタファーなのだろうと察した。

キャッキャキャッキャと楽しそうに店内を駆け回る彼女らは心の奥底では泣いているのだ。

敵国からいつミサイルが打ち込まれてもおかしくない現代、国は誰をトップにするかという争いを行い、揚げ足ばかり取っている。それを笑いながら見ている大衆。なんという危機感の薄さか。

彼女らはそれを見抜いているのだ。そして我々に伝えている。「そのままでいいの?」と。

 

彼女らが発するキャーキャーという楽しげな悲鳴を聞きながら僕は支払いを終え、店を後にした。雨はまた一段と酷くなっていたが、アサシンクリードになれるパーカーのフードは被らずに車へと乗り込んだ。僕は、いや僕らは頭を冷やさなければいけないのだ。傘の下にいても雨が降っているという事実には代わりがないのだから…。

 

 

でも、スーパーで鬼ごっこすんな。危ないし邪魔だから。親も注意せんかい。

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