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音楽の事をあんな視点、こんな視点から綴ります。

牛とババア。

『牛』

数日前。僕は車を運転していた。

それは正午を少し過ぎたあたりの時間帯で、その日の前の日くらいに梅雨入りしたこの街は、じんわりとした湿気を帯びた空気に充ち充ちていた。

ガソリンを喰うからと、暑くても普段は送風にしている車内がいっそうの暑さを僕に押し付ける。少しでも燃費効率を上げるためにいい加減オイル交換に行かねばならないのだが、なかなか遂行出来ていない。

暑さに負け、しぶしぶエアーコンディショナーのスイッチをオンにする。

するとたちまち車内の気温は下がり、ベタベタとしていた肌がサラサラになっていくのが手に取るように分かった。

快適だ。エアーのコンディションを整える機能。エアコン。これは二十世紀最大の発明なのでは、とよく考える。

敬愛するお笑い芸人・松本人志が昔ラジオで「ティッシュ」を発明した人は天才だと話していた。現在を引き出すことによって未来を出しているのだ、と。なるほど、言い得て妙である。

僕もそういった視点で物事を捉えたいと思った。思ってはいるが、結局は短絡的である。クーラー最高!涼しいは正義!である。

カーオーディオからは大橋トリオの「Honey」という曲を流していた。僕は前の日からその曲にえらくハマってしまい、その1曲を延々とリピートしている最中だったのだ。

 

あと五分程で家に着くというあたりで、ある人間に遭遇した。

いや、遭遇したというのは正しくない。見た。

彼は白と黒の斑な模様のシャツを着ていた。その模様はまるで乳牛のそれであった。

乳牛である。ここで一度「乳牛の模様」のイメージをもう一度正しく確認しよう。

これだ。

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うむ。これこそが乳牛。「THE 乳牛」である。「KING OF 乳牛」である。

 

そんな乳牛模様のシャツを着た人間を見、僕は車内で思わず声を上げてしまった。

「乳牛か!!」

と。所謂ツッコミである。THE ツッコミ。

車の窓を閉めていたためそのツッコミの声は通りを歩く彼にはもちろん届いていないのだが、僕はそれでじゅうぶんに満足した。

 

ツッコミというのは言わば句読点のようなものだ。「何かおかしいな」と感じた出来事に対して「◯◯か!」とアンサーを提出する。それにより違和感を払拭出来る。

また、ツッコミというのは言わば「連想ゲーム」にも似ている所があるのだ。それ(違和感)を様々な例え等に言い換えることで笑いが産まれる、と個人的には認識している。

そして大事なのはスピードと勢いだ。

ツッコミによって笑いが産まれるということはそのツッコミが「的を射ている」からで、この的を外すとどんなボケも死んでしまう。

的を射ている、ということは、誰もがうっすらそれに気づいているからである。でも一瞬では思いつかない。だからツッコミは誰よりも早く最適なワードで痒い所を突く。そして、それを聴いた聴衆は「そう!それだ!」というアハ体験(©茂木健一郎)を得、笑うのである。

 

この「乳牛か!」というツッコミはワードチョイスとしては決してクオリティの高いものではない。見たものを見たまんま、である。だが、そのスピードと勢いは手前味噌ながら目を見張る物があった。彼のシャツを見てからコンマ6、7秒という絶妙な「間」。この早さは誰にでも真似できるものではない。

 

僕は内心ドヤ顔でアクセルを踏む足に力を込めた。

乳牛の彼はこちらのこんな思いなど知らずに歩いている。それは心なしか敗北感漂う足取りにも見えた。

その時である。

今まで背中の模様しか見ていなかったのだが、彼を追い抜く際に右肩辺りの模様を見ることが出来た。なんとそこには「乳牛の顔」がプリントされていたのである。

つまり、彼は「乳牛のような模様のシャツ」を着ていたのでは無く、「乳牛の模様のシャツ」を着ていたのである。

この事実はつまり、僕のツッコミが「全く無意味なもの」に変わってしまったことを意味していた。

どういう事かというと。

「まるで乳牛のような模様のシャツ」に対して「いや乳牛か!!」というのはツッコミとして成立している。が、「乳牛の模様のシャツ」に対して「乳牛か!!」というのはあまりにも短絡的すぎるのだ。ひとこと「そうだよ?」と言われてしまえば終わりなのである。

これは例えば、「太陽」に対して「眩しいよ!太陽か!」と言っているようなものである。ツッコミではない。ツッコミボケになってしまう。

太陽に対して「眩しいよ!太陽か!」というツッコミボケには「いや太陽だよ!」という逆ツッコミが必要になる。そこで初めて笑いが起きるのだ。

 

 

全ては僕の甘さが招いた惨事であった。

これから知らない人に対してツッコむのは、もう少しちゃんと事実確認をしてからツッコもう、と思ったのでありました。

 

『ババア』

これも数日前の出来事である。

その日、僕は仕事から帰っては来たものの、やることが残されていた。

「洗濯」である。

僕が住む街が梅雨入りしたことは先述した通りで、その日もいつ雨が降り出してもおかしくないような天候だった。

細菌やなんやかんやが繁殖するから良くないとは分かっていつつも、普段、洗濯物をそのまま洗濯機に放り込んでしまう。すると3,4日で一杯になる。一杯になればすぐに洗濯している。

その日は必ず洗濯をしなければいけない量が溜まっていた。しないという選択肢は許されない量であった。じめじめとした空気と気温でベタベタになっている身体。湿気でくるくると変なクセを表現している毛髪。僕の中の不快指数レベルはフェーズ3くらいにまで移行していて、今すぐにでもキンキンに冷えた麦酒を喉に流し込みたい衝動で一杯であった。

しかしそれは我慢しなくてはならない。

まず汗を流すためにシャワーを浴びるのだ。そのシャワーを浴びている時間、同時進行で洗濯機を回し、出かける準備をし、コインランドリーという天才が生み出した機械の中へ脱水を終えた洗濯物を放り込み、30分程した後でからりと乾いた洗濯物を回収し、帰宅する…

という、一時間以上がかかる任務を終えて初めて、僕はキンキンに冷えた麦酒を喉に流し込むことを許されるのだ。

 

コインランドリーに洗濯物を放り込む所まではスムーズだった。

僕はこの30分の待ち時間を、買い物をして過ごす事に決めた。時間を無駄にしない自分、かっこいい。

コインランドリーから車で2分くらいのスーパーマーケットストアに足を運んだ。

仕事終わりにこんなにも働いた自分を喜ばすための麦酒、おつまみ等をカゴに入れる。こんな些細な事で人は幸せになれるのだ。働いたあとの麦酒 is プライスレス。

 

意気揚々とレジに並ぶ。

すると、レジは思いの外混んでいた。店員は2人でレジ業務を行っている。いや、あと1人いた。

しかしその1人はなにやらババアと話し込んでいる。どうも、ババアが店員さんを捕まえ一方的に話しているようだ。

 

このスーパーマーケットでは午後8時になるとお惣菜や刺身などが半額になる。

そのタイミングを狙って通っている人も多い。時計を見ると8時を5分程過ぎた時刻であったが、既に半額シールを点けた商品をカゴにこれでもかと放り込んでいる人間が多くいた。非常に回転が悪い。2人で捌くには膨大な時間を必要としているように感じた。

そんな状況を知らずに、大事な大事な店員を1人奪い、延々と話し込んでいるババア。

「おいババア!こっち見ろや!クソほど並んでんだろうが!店員さん開放したれや!!」と大声で叫んでしまいそうな衝動を抑え、目の前の自分が並んでいる列を見る。

会計中のおばさまはやはりカゴに大量の物品を入れており、まだまだ時間がかかりそうであった。加えて、店員さんはご丁寧に「こちらは今ですと半額になりますよ、売り場でシールを貼って貰って来てくださいね」だなんて惣菜を別のカゴに分けている。

優しさだ。おばさん店員の優しさ。少しでも安いほうがいいでしょ?という優しさ。

でも今、その優しさは罪!である。気持ちは分かる。分かるが、罪だ。

その会計中のおばさまの後には、もう1人別のおばさまがいて、この方も大量の物品をカゴに蓄えていた。

気が遠くなる。混み合ったレジ待ちの時間というのは何故にこんなにも辛いのであろうか。

 

しかし、ババアである。

この時のババアに限らず、我々はババアにやられるのだ。

車道に急に飛び出してくるババア。

50km/hの道を30km/hくらいでノロノロと走り大渋滞を産むババア。

話を聞かずに勝手な行動を起こすババア。

何か「イラッ」としてしまう事の背後には、必ずババアがいるのではないかと疑ってしまう。

 

しかし、しかしだ。

そんなババア達はコミュニケーション能力に長けていたりする。

意外と面倒見が良かったり、親しい間柄の人間にはとても「良いババア」であることが多いのだ。

そう考えると、ババアは必要悪なのかもしれない。

あなたが好きなあのババアも、どこかで最悪なババアになっているかもしれない。

表裏一体である。

店員さんを1人レジ内に幽閉し、話したいことをひたすら話すババア。

あのババアも家に帰れば誰かの母親であり、祖母なのかもしれない。

彼女の帰りを待つどうしようもないジジイが居て、夜には布団を並べて仲良く寝るのかもしれない。

 

そう考えるとなんだか「もう!」と言ってしまえば許してしまえるような気持ちになってしまった。

 

そんなことを考えていると、例の話し込んでいたババアはいつの間にか去っており、幽閉されていた店員さんが「こちらのレジへどうぞ!」と僕を誘ってくれた。

その店員さんは普段はとてもぶっきらぼうな接客をする人なのだが、その時はとてもにこやかに接客してくれた。きっと幽閉されてしまっていたことに少なからず罪悪感を感じていたのだろう。

 

コインランドリーに戻り、自動ドアを潜ると「ピーーーーー」という電子音が響いた。

僕の洗濯物が丁度終わった音だった。僕は、洗濯物が乾くのを全く待たず、ジャストのタイミングで回収することが出来たのだ。

 

結果、オーライ。

 

以上が近況である。

「牛とババア」という一席でありました。