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音楽の事をあんな視点、こんな視点から綴ります。

よかけん。

なんだろう。

例えば体育の授業の場面で。

「うわー、跳び箱かぁ、まいったなぁ、飛べるかなぁ。怖いなー!うっわー、え!8段?!無理じゃねこれ無理じゃねー?!」

とか言ってる生徒がいたとして、あなたは「いいから早く飛べよ」と思ったとする。

この場合、標準語だと「いいから早く飛べよ」になる。

これが大阪弁だと「ええから早よ飛べや」になる。

 

僕が住む長崎県大村市という場所ならこれが「よかけん飛べさ」になるのだ。

解説すると、

「良い」→「良か(よか)」

「〜だから」→「〜けん」

ということである。つまり「よかけん」は訛りの融合体。応用編なのである。

この「よかけん」というその語感。響き。これがたまらなく面白いのだ。

 

上記の体育の例のように「なにか"まごまご"としている状況、言動」に対して、それを一太刀で切り裂いて見せるのが「よかけん」である。

様々な懸念材料や心配、不安などを一気に「(どうでも)よかけん」にしてしまう力があるのだ。

つまり、その懸念材料をつらつらと述べたり表している状況があればあるほど「よかけん」が活きてくるのだ。長々と言い訳している状況は「フリ」になってしまうのだ。

 

しかしこの感覚はこの地元で育った僕だからこそ感じるものであり、その他の地方に住む皆様にはあまりご理解頂けないだろう。だからもう少し噛み砕こうと思う。

 

例えば大阪弁

関西の芸人さんが東京へ進出し、全国ネットのテレビに出演することで莫大に広がったのが大阪弁である。有名なフレーズは「なんでやねん」や「もうええわ」等といった漫才のフレーズである。長崎でも何かのボケに対して「なんでやねん」と言ってしまう人間が大勢居るほど広まっているのだ。

「なんでやねん」は「なんでだよ」と標準語に言い換えることが出来るが、それでは一気に味気なくなってしまう。

「なんでやねん」はやはり「なんでやねん」でしかなく、「なんでだよ」では伝えたいニュアンスが100%伝わらないのだ。

 

何が言いたいのかというと、「よかけん」にはとても大きなパワーが秘められているということだ。

「いいから」や「ええから」には無いパワーがある。

まず「よか」という部分の絶妙な柔らかさ。「よ」の後に「か」がある温かみ。

そして「けん」のどっしり感。「ん」で終わることの、言語としての完成感。

「よかけん」は非常にバランスの取れた言葉なのだ。

 

「よかけん早く食べて」と言われると「そ、そう?仕方ないなぁモグモグ」となるし、「よかけん死んで」と言われたら「じゃあいっちょ死んでみるかぁ」と思えてしまうのである。不思議なことに。

 

「よかけん」はそれまでのアレコレを断ち切る絶大な力があるにも関わらず、言われてもあまり怒りの沸かない不思議な言葉なのだ。

他府県の方々にも是非とも使用して頂きたいし、流行語大賞だって狙える「作品」なのだ。

 

そんな「よかけん」が日常に蔓延る街、長崎。

「良か県」なので、遊びに来てね。

 

おわり。